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TOEFL免除で大学留学+東京医科歯科大学編入

留学を決める前、OSiの代表・飯島さんに初めて相談したときに言われたのは、「留学そのものより先に、あなたの将来の道をどう作るかを一緒に考えよう」という一言でした。

そこから面談は、私のやりたいこと・得意不得意・将来像をじっくり言語化する時間に。

単に「行けば何とかなる」ではなく、目的から逆算して国・学校・進路を組み立てる――それがOSiのやり方でした。

正直、留学は楽な道ではありません。

けれど、やり遂げたときの達成感は大きい。

OSiはその過程で、最新の学校情報の収集や、入学許可に向けた個別交渉まで粘り強く支えてくれました。「やる気を学校に伝える」のもサポートの一部で、願書や面接の準備で徹底的に背中を押してくれます。

印象的だったのは、甘い話だけをしないこと。

必要なときははっきり厳しい指摘もある。でも、それが本当に頼りになる。

私自身、TOEFLのスコアに自信がなく、学歴面でも不安がありましたが、「条件が整っていなくても正規入学の道はある。入学許可を取って送り出すところまでは全力で伴走する。そこから先はあなたの努力次第」というスタンスに、腹が決まりました。

いま振り返ると、OSiの価値は「留学させること」ではなく、「自分で選び、自分でやり抜く力」を引き出してくれること。

厳しさも温かさも含めて、私が留学エージェントに求めていたのは、まさにこういう存在でした。

Fさんの留学までの流れ

STEP
準備

歯学部受験で挫折。2浪していたときOSi飯島さんと出会い、留学を考えるようになる。きっかけは両親からの提案だった。

STEP
出発

オレゴン大の入学許可を得たものの語学力がなかったので、大学附属の語学学校で英語を猛特訓。1年後に無事入学を認められる

STEP
留学

大学では卒業に必要な単位を4年間で見事取得。卒業間近の1年間は、毎日が受験勉強のような厳しさだったとのこと。

STEP
帰国

本来の夢、歯科医の道を志すべく東京医科歯科大を受験した結果、見事合格し3年次編入を果たす。

現在、首都圏で歯科医として活躍中。

体験者×担当者 対談

OSi 飯島

Fさんが相談に来られたのは、歯科大の受験に失敗して、留学と言う選択肢も考えてみたら」と言うご両親のお勧めがきっかけだったよね。

Fさん

そうです。正直最初は、自分がアメリカへ行くなんて、全然思ってもいなかったです(笑)。
それまでは日本の受験と言う、すごく狭い選択肢の中でしか考えたことがなくて、高校や予備校の進路相談でも、受験コース以外の話なんて一切出ないですから。でも、ここでは飯島さんがマンツーマンでお話ししてくださって、いろいろな選択肢があるということがわかった。それがきっかけになりました。

OSi 飯島

でも最初に話したのは「留学の厳しさ」ばかりだったよね(笑)。「本当に大変だけど、やり抜く気持ちはあるの?」とか、「海外ではこんな苦労があるよ」という話をたくさんして。

Fさん

よく覚えてます(笑)。でも、受験に失敗してどこか自分を追い込まなきゃいけないなと思ってましたし、どうせ勉強するなら自分にもっと厳しくしたいと。それで留学して、しっかり生物学を学んでみようって決意したんですよ。

OSi 飯島

いちばん大きいのは、誰かに決めてもらったんじゃなくてその選択を「自分で決めた」というところ。だから頑張れたんだと思う。でもオレゴン大学を4年間で卒業したんだから、本当によく頑張ったよね。FさんはTOEFLのテストも受けたことがなかったし、成績もGPA換算(注釈1 )では決していい方ではなかったんだから。

Fさん

最初は英語も本当にできなかったですから。しかも卒業の1~2年前は毎日が受験勉強みたいな感じで遊ぶヒマなんて全然ない。で、朝7時からクラスがあったりするんです。

OSi 飯島

アメリカ人、留学生問わず、大学を卒業している人はそれをみんな経験してるよね

Fさん

ほかにも両親、友人、飯島さん、いろんな人にお世話になってたんだなってこともわかるようになりました。自分でも留学して変わったと思いますね。

※注釈1 GPA換算(米国式成績)
各科目の評点を4.0満点に置き換え、単位で加重平均した値。目安:A=4.0/B=3.0/C=2.0/F=0.0(100点法なら90–100=4.0, 80–89=3台 など)。最終的な換算は出願先大学の基準が優先され、第三者評価(例:WES)を指定されることもあります。

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